バス旅 後編 浪板海岸から三鉄旅

これはバス旅の後編。


食事処「さんずろ家」で
かなり長居したつもりだったが、
帰りのバスの到着までまだ1時間半。


何も計画していなかったので、することもない。



仕方なく海岸へ降りたら、
一人のサーファー男性を見つけたので、
風景として、勝手に撮影していたら、
私の後ろにその奥さんらしき人が立って、怪しむように私を見ていたので、
ペコリと頭を下げて逃げてきた。



あぁ、早く帰りたい。



時間を潰すように周辺を歩き続けた。


目に入るのは、津波後に姿を変えた景色。
「この辺も随分と変わっちゃったよなぁ」
無意識に津波前の景色を追ってる自分がいる。



「そう言えば、ここで高校時代の部活仲間とキャンプしたこともあったな」
なんて。


津波が襲った三陸沿岸を通る三陸鉄道、その鉄橋がふと目に入る。



「そう言えば、高校時代、海水浴の後、三陸鉄道で帰った記憶あるな」
みたいなことを思い出しているうちに、


「そう言えば、この辺にテニス部のひとつ歳上の女の人に親戚がいるんじゃなかったっけ?」
みたいなことを思い出し、


「えっ、なんで、そんなこと俺が知ってるの?」
「えっ、いつ聞いた話?」
「あれ? 夢かな・・・?」


なんだか、いつの時代のことか不確かな記憶が
海の底をひっくり返したように襲ってきて、うやむやのまま去っていった。



三陸鉄道の浪板駅の時刻表を見ると、
バスの到着より20分以上早い列車があるのを見つけ、
更に、それがバスより50分近く所要時間を短く出来るらしかった。



心変わりしやすい私はバス旅から三鉄旅へ乗り換えた。



列車が到着するまでの間、駅周りをぶらりしてると
海から駅までは結構な高低差があるはずなのに、
津波がここまで到達したことを示す碑が建立されていた。




その横に「震災備忘の碑」というのがあって、
安易に私は「震災のことを忘れないように」ということが書いてあるんだろうな、
と読んでいたら、
そのことも勿論なのだが、後世に語り継ぐべく石碑に刻まれた文章として素晴らしいな、と感心したのは、
「忘れないで欲しいのは、この震災の後、日本中から、世界各国から支援があったこと」
という部分、そこに重きが置かれていたことでした。


世界の平和はきっとこんな心から生まれるんだ、そう思った。



15時12分。
浪板発の三陸鉄道列車が到着。



震災以降、変えられたり、変わったりして姿を変えた海岸線の景色を眺めながら、三陸鉄道で家路を辿った。



途中車内、県外からの旅行客なのか、枯れたススキだらけの鵜住居川河口周辺の景色を眺めながら、
「この辺もすっかり家が海に流されちゃったらしいよ。」と
なんだかヒソヒソと会話していた。



たぶん、ヒソヒソと話さなくちゃいけない、と思うのは、
あれから10年経過した今でも、
被災した三陸沿岸の傷口が治癒したというまでには、
誰もまだまだ至っているとは思っていないからなんでしょうね。





15時39分
当初のバス旅プランは予定より早く、地元の駅に帰ってこれた。


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<本日の英語ワンフレーズ>
This train is a local bound for Sakari.
We will make a brief stop at Kamaishi.


この列車は盛行きの普通列車です。
Kamaishiで少し立ち寄ります。